火山学者に聞いてみよう -トピック編-  

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「Q&A火山噴火」 に寄せられた意見集


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Jan. 2012.

The Volcanological Society
of Japan.

kazan-gakkai@kazan.or.jp

身近の火山:九州・南西諸島

鬼界カルデラ・幸屋火砕流


Question #54
Q 高校の授業で、マグマの分類の一つの方法として二酸化珪素の濃度による分類を学びました。それによると、玄武岩質マグマ(二酸化珪素45−52%)・安山岩質マグマ(52−66%)・流紋岩質マグマ(66%以上)となっていたのですが、他の一般向けの火山の書籍を読んでいた所、同じ方法に基づくと思われる分類で石英安山岩質マグマというのが出てきました。このマグマと前述の3種類のマグマの関係について説明して下さい。よろしくお願いします。 (11/13/97)

地学選択の高校生:高校生:17

A 中学・高校ではご質問のような火山岩およびマグマの分類が教えられていると 思います.また,それらに対応する,斑れい岩,閃緑岩,花崗岩という深成岩 の岩石名も覚えておられると思います(忘れていたら,逆順に「かこ」んで 「せん」こう,「はん」ごろし.と覚えましょう).おっしゃるように,二酸 化珪素の濃度によるマグマの分類は研究者の中でもよく用いられていますが, 中学・高校で教えられるよりももっと細分されています.その細分された分類 の上では,”石英安山岩”は現在ではデイサイトと呼ばれています.雲仙普賢 岳で1991年に出現した溶岩ドームもこの石でした.デイサイトの二酸化珪素濃 度は,細分された分類上での安山岩と流紋岩の中間の量です.日本のものでは 63−72%程度です.ただし,アルカリ元素の量(Na2OとK2Oの総 和)が約7%程度より多い岩石は粗面岩または粗面デイサイトと呼ばれていま す.なお,デイサイトの岩石名はルーマニアのDaciaの地名にちなんでいます .日本で石英安山岩と呼ばれたのはデイサイトの日本語訳として明治時代に地 質調査所で使われたのが最初です.しかし,この岩石名は石英の”斑晶”を含 む安山岩(実際のデイサイトは含まないことが多い)という意味と誤解される ため,現在では使われません. 新版地学事典(平凡社,1996年刊行)の別冊31ページに上記の関係を示 した図があります. (11/19/97)

三宅康幸(信州大学・理)


Question #72
Q
 初めて質問します。
 私は、今社会科の時間に火山と人々の生活について調べています。
 そこで、初歩的な疑問がわきました。
 歴史上、最も大きな噴火はいつ、どこでおこったのですが。
 もちろんわかっている範囲でかまいませんのでよろしくお願いします。 (5/3/98)

松田 さおり:中学2年生:13

A
 人間の歴史に残る最も大きな噴火は,インドネシアのスンバワ島にあるタン ボラ火山で1815年におきました.タンボラ火山は直径60km海抜2850mの火山で, この噴火でできた直径6km深さ1kmのカルデラが山頂にあります.1812年から噴 火を始め,15年4月に大きな爆発を起こし7月まで続きました.この時の噴火の 爆発音は1800km離れた場所にまで聞こえたと言います.また,火山の周辺で は,噴火後3日間は,昼でも真っ暗であったといいます.この噴火の際に放出 された火山灰や軽石の量は150立方kmにも達すると見積もられています.この噴 火で約1万人が死亡し,そのあと餓死・病死者がスンバワ島で38,000人,隣のロ ンボク島で44,000人が出るなど,死者の総計は92,000人にも達しました.犠牲 者の数でも史上最大でした.また,翌年の北半球の夏は平均気温が0.7度低くな ったといいます.
 これと同じような規模の噴火は,今から約6,400年前の日本でも起きました. 鹿児島の南の海中にある鬼界カルデラを作った噴火です.また,もっと古く は,鹿児島湾の姶良カルデラ(約22,000年前)や阿蘇カルデラ(約8万年前)を 作った噴火がさらに大きい規模の噴火でした. (5/5/98)

中田節也(東大・火山センター)


Question #1853
Q よく縄文時代を扱った番組で
鬼界カルデラがでてきますが
最近の火山の噴火で近い物はどんな物でしょうか?
それともとてつもない噴火だったんですか? (09/10/01)

hazime:会社員:27

A
 鬼界カルデラを形成した噴火はとてつもない噴火でした。鬼界カルデラは鹿児島県 南方の薩摩竹島と薩摩硫黄島を陸上のカルデラ縁の一部とするカルデラで,そのほと んどが海中に没しています。6300年前の噴火はまず最初にプリニー式噴火に始まり, 多量の降下軽石を東方地域に降らせました。続いてやや規模の小さな火砕流が噴出 し,最後に巨大な噴煙柱の崩壊により,幸屋火砕流と呼ばれる大規模な火砕流が四方 に流れました。幸屋火砕流は海を渡り,九州本土まで到達し,給源から半径100km の 範囲に分布しています。また,プリニー式噴煙柱と幸屋火砕流の発生により、上空高 く舞い上がった火山灰は日本列島を縦断し、東北地方まで達しました。火砕流という 噴火現象は最近では1991〜1995年の雲仙普賢岳噴火が思い出されますが,幸屋火砕流 の規模は雲仙普賢岳の1回の火砕流噴火の数10万倍に相当します。カルデラ形成を 伴う大規模火砕流の噴火は日本列島では1万年に1度くらい発生していますが,有史 時代には例がありません。6300年前の縄文人が唯一の目撃者ですが,残念なことに当 時の縄文文化はほぼ壊滅状態に陥ったことが推定されています。大規模火砕流は文明 をも滅ぼすほどの巨大噴火なのです。
 (09/10/01)

鎌田桂子(神戸大学・理学部・地球惑星科学科)